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2009-10

米国の宇宙企業がHTV制御技術を採用

HTVは10月31日に国際宇宙ステーションを離脱し、11月2日には大気圏に突入し消滅します。
HTVがISSにランデブーするプロセスは、完全自動で制御されています。これを開発した三菱電機の技術がアメリカのオービタル・サイエンス社に採用されることになりました。(2009年10月22日発表)
オービタル・サイエンス社はロッキード・マーティンとともに次期有人輸送システムの「オリオン」を開発しています。
シャトルの退役後、「オリオン」が運用されるまで「シグナス」という輸送システムが運用されますが、そのランデブーシステムにHTVの技術が採用されました。
HTVの自動ランデブーシステムは「きぼう」日本実験棟に搭載されている「近傍通信システム」を利用します。「シグナス」もそれを利用します。これにより運用コストが大幅に下がります。

人工衛星製造を提供している企業は、姿勢制御、太陽光発電などの共通部分と、目的に応じた装置を積むためのミッション部分を分け、共通部分のコストをさげるとか、共通のスケルトンを使う等の努力をしています。日本の新しい産業として発展してほしいと思います。

ちなみにHTVに採用された太陽電池パネルはシャープの製品で、変換効率30%を達成しています。このパネルは現在オーストラリアで行われているソーラーカー・レースで一位を走っている東海大学のチームに提供されています。
さらに35.8%という効率を達成したというリリースも出ています。(S)

追記:ソーラーカー・レースでは東海大学チームが一位となりました。

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私たちは何かを予見できるのか?「ブラック・スワン」(タレブ・ナジブ)「経済物理学の発見」(高梨秀樹)

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「ブラック・スワン」は06年に出版され、08年の金融危機を「予想」したとして、その年のアメリカのアマゾンで売り上げ1位になった本です。今年6月に日本語に翻訳されました。
著者のタレブ・ナジブはトレーダー兼「不確実性(Uncertainty)」の研究者です。博識で、かつシニカル。酔っぱらって演説しているような語りぐちはかなり魅力的。出版がダイヤモンド社であることもあって、てっきり金融のテクニカルな話だと思っていましたが、意外や意外、科学的認識批判論であり、ある意味人生論でもありました。ベストセラーになったわけです。
著者はこんにちの経済認識や金融論の基礎になっている統計学の考え方「標準偏差」に疑問を投げかるどころか激しく攻撃します。標準偏差とはベル型カーブで描かれる統計的データの分布です。たとえば人間の身長をデータでとると、だいたい2メートルから1メートルのあいだに収まります。そしてもっとも多いのが150センチから180センチのあいだぐらいに山がくるベル型のカーブに収まります。
金融におけるリスクはだいたいこのようなベル型の分布に収まると考えて作られているのが、金融工学です。
ちなみに金融におけるリスクとは変動性リスク(Volatility Risk)、流動性リスク(Liquidity RisK)、インフレ・リスクなどがあります。変動性リスクとは金融商品がこの先どういう値動きをするかというリスクです。変動性が激しければ激しいほど高い利益も得られるし、損をする額もでかいわけですね。流動性リスクとは、すぐに換金できるかどうかと言うことです。

金融工学には、そういったリスクがだいたいベル型カーブのなかに収まっているであろうという前提があるわけです。
タレブはそういった想定が事実であったためしはないと歴史や哲学、科学を引いて声を大に主張します。
そして宇宙中でもっとも複雑なシステムである人間の経済活動は厳密にコントロール可能なものではなく、かならず不確実性を含むのだと主張します。これが「黒い白鳥」(1羽でも黒い個体がいたら白鳥という定義が崩れる)というタイトルのゆえんです。
そして2007年から2008年にかけて、ベル型カーブの裾にあたる、理論的には何十億年に一回の確率でしか起こらないようなことが起こってしまいました。だから、こういう認識はまちがいなのでは・・・・・。
タレブはその深い教養でいろんなエピソードを交えて、ニュートンの運動方程式による古典力学的世界観が経済学を覆っていることを指摘します。たとえばVolatilityとかLiquidityという概念は流体力学に似ています。しかし、それはアインシュタインの相対性理論による古典力学の一般化、タレブが唯一尊敬できる「経済学者」であるというマンデルブロなどが切り開いた複雑系の科学の認識などがその限界を指摘しているというのです。
内容を単純化すれば以上ですが、この本は実に含蓄に富んでいて読んでいて飽きません。

経済の複雑さに取り組み、タレブと立場を(やや)同じくする経済物理学という分野があります。この分野はタレブも「ブラック・スワン」の中で言及していますが、2004年にこの分野の日本における第一人者高梨秀樹氏が「経済物理学の発見」という本を出版しています。これがなかなかおもしろい。
著者はフラクタル理論など「複雑系の科学」の日本の第一人者の一人です。科学者としてのキャリアの最初は地球科学の分野で、地震の予測などをやっていました。このことからわかるように線形的な現象ではなく、突発的な現象が起こる非線形科学を統計物理学的に処理することを専門としています。その手法が適応できるのではないかと言うことで、高騰や暴落という予測できない(タレブの言葉を借りると「不確実」)ことが起きる経済現象を研究テーマに選んだのです。
経済物理学は研究対象として、たとえばもっとも理想的な「市場」としての外為市場を選びます。こんにちの外為市場は参加プレーヤに時間差や情報の差が生じない「理想的」な市場です。そしてすべての取引がコンピュータ化されているのでそれらをトレースしてデータ化することが可能です。本書によると円ドル為替取引の場合、一日の為替レートの変動が1万回程度、年間でもその250倍。コンピュータで軽く扱えるデータです。ティック・データと呼ばれるひとつひとつの取引データのすべて解析できるのです。取引時間が8時間として1万回の取引があると、ティック・データの最小時間はおよそ3秒ほど。
こんな方法で分析すると市場は常にふらふら変動しており、また、初期値の微小な変動が大きく結果を変える「カオス」が潜んでいることがわかりました。また、データを縦軸を価格変動の大きさ、横軸を発生の頻度のグラフに落とし込むと、左側5%ほどに極端なピークがあり右にゆくにつれて急激に減少し、低い数値がだらだらとよこにのびてゆく、べき分布といわれるものになるそうです。べき分布はファット・テール、ロング・テール等とも言われ、AMAZONの本の売り上げにもそれがあらわれています。左の方に世界で何億部も売れる「ハリーポッター」があり、急激に売り上げは減少して、右の方には数百部しか売れない本がだらだらと長く続くという現象です。
外為市場のデータに戻るとこの左側のピークを切り捨て、残りの部分をベル型カーブで近似しているということになります。タレブのベル型カーブ批判の主張も同様です。物理学の手法でとりだした現実のデータは金融工学の仮定とあっていないと言うことです。
ただ、ブログなどの「経済物理学の発見」に関する書評をみると、工学系の人には若干評判が悪いようです。工学的には何らかの近似してしまわないと扱うことができないということのようです。だから金融工学も存在価値があるのでしょう。
タレブの古典力学的認識論批判や経済物理学の成果は基礎研究に終わり、工学的な応用は難しいのでしょうか。

「週間ダイアモンド」2009年10/17日号「為替入門」特集に最近の経済物理学の動向が紹介されていました。
東京工業大学工学院総合理工学研究科准教授 高安美佐子氏(高安秀樹氏の奥さんで共同研究者です)の研究成果の紹介です。
その記事によると、経済物理学はシミュレーション科学の方向に向かいつつあるようです。
経験的に知られているように、投機におけるポジションの取り方は、「順張り」と「逆張り」になります。「順張り」は正のフィードバックとして働き、価格の暴騰あるいは暴落としてあらわれる、一方「逆張りは」負のフィードバックとして価格の安定化につながるであろうというのは、何となく想像がつきます。それでは実際の経済活動の中でそれを確かめることができるのか。経済現象の特徴として、それは難しいわけです。そこで、登場するのがコンピュータ上に作られた仮想市場ということになります。
実証研究で集められたデータで、モデルを精密化。そしてその中で「順張り」がどこまで突っ走るとバブル崩壊が起こるのかと言うことをシミュレーションします。その結果を実際の市場にインプットすると、いわゆるアナウンス効果で負のフィードバックを起こせるのではないかと高安美佐子氏は言います。

このように人間の認識は複雑な現象に対しても何らかの手立てを考え出すようです。そしてそういった自己言及的な行為自体が現象をさらに複雑にしてゆきます。それが進化と言うことなのだと、私は納得しています。(S)

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私は、どこにいるんですか?

  • 2009-10-22 (木)
  • SF

会社から帰って夜な夜なネットサーフィンが大好きな、わたしが最近見つけた、youtubeの動画があります。

それは、単純に銀河系の星の大きさを比較したもの。

小さいところから紹介していきますと、

Pluto(冥王星)

Mercury(水星)

Mars(火星)

Venus(金星)

Earth(地球)

Neptune(海王星)

Uranus(天王星)

Saturn(土星)

Jupiter(木星)〜と、こんな感じに徐々に大きくなってきてますが。

Sun(太陽)〜いきなり太陽との比較で、木星くんかなり小さくなってしまいました。

う〜ん、太陽デカぃ!!

しかし、太陽が小さく見えるほど、大きい星がまだまだあるんですね。

Sun(太陽)

Sirius(シリウス)

Pollux(ポルックス)

Arcturus(アルクトゥルス)

Rigel(リゲル)

Aldebaran(アルデバラン)

Betelgeuse(ベテルギウス)

Antares(アンタレス)〜うひゃー、アンタレス大きすぎて太陽が点になってしまいました。

ってことは、地球なんて、、、、って、考えてみると、わたしってなんて小さいんだー!!みたいなね。

浮き世の柵が突然阿呆らしく思えた夜でした。

アンタレスより大きい星がまだまだあるみたいなんですが、キリがないんでこの辺で終了ー!!

(P)

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生命への問いかけ

2003年人間の全ゲノムが解析され、現在は「ポスト・ゲノム時代」と言われています。IP細胞やES細胞の研究の最前線もゲノム研究の手法を取り入れることによって、大きく進歩してきました。科学者の生命観も一つの共通の視点に修練しつつあるように思われます。
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「生命」について、一番最初にあるイメージを与えてくれたのは、量子力学の創設者の一人物理学者シュレディンガーの「生命とはなにか」(1944)という古典的名著でした。
宇宙はエントロピー増大に向かっている。しかし、生命はその流れに逆らって「負のエントロピー」を生み出している。そう彼は述べます。エントロピーの増大とはミルクとコーヒーが混ざり合ってミルクコーヒーになるようなことです。しかしミルクコーヒーが時間経過と共にミルクとコーヒーに別れることは決してありません。そのあり得ないことを起こしているのが生命だというのです。
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イリア・ブリゴジン/I.スタンジェール共著の「混沌からの秩序」(1984年)はシュレディンガーが提出した生命観をさらに具体的にしてくれました。イリア・ブリゴジンは1977年にノーベル賞を受賞した化学者・物理学者です。受賞した業績は「非平衡開放系における定常的な構造=散逸構造」の研究でした。
ベルナール対流という現象が流体科学の世界では昔から知られていました。容器の下から均等に熱を加えられたパラフィンのような液体に、熱による対流によってハチの巣のようなパターンが生じます。このパターンは下から熱が加わり、表面から放熱している限り消えることがないのです。こういった現象は決して珍しくありません。エントロピーが増大するエネルギーの勾配に、局所的にエントロピーが減少するシステムがあらわれる。それが生命なのです。
同じ意味で地球というシステムも非平衡開放系の中の散逸構造です。太陽から降り注ぐエネルギーが地球という局所的なシステムにおいて、散逸構造的なパターンを生みだし、ふたたび赤外線に運ばれる熱として、宇宙に放出されてゆく。そのシステムの中にさまざまな生命の食物連鎖をはじめとする生態的関係が姿をあらわします。
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「動的平衡」(2009)は分子生物学者、福岡伸一氏のエッセイ集です。分子生物学の発達の歴史を重て生命観の現在を紹介したベスト・セラー「生物と無生物のあいだ」に比べると、若干散漫な印象がありますが、「動的平衡」という言葉に惹かれてこちらの本を選びました。(物理学業界では「動的平衡」とはいわず、「非平衡開放系における定常状態」といいます。科学でも業界が違うと言葉が違うようです。)
人間はある時間一人の人間であるが、それを構成している物質はとどまることがない。物質的存在としての「私」には何ら一体性はなく、そこにあるのはパターンだけである、という認識がそれぞれのエッセイの中に最新の分子生物学的知見として記されています。

こういった生命観は科学という方法論が達した認識です。でも、たとえば仏教における「縁起」の概念との類似性を感じざるを得ません。
「縁起」とは、「実態」は何もない。あるのは諸要素の関係性(縁起)だけであり、関係性を構成する諸要素も「縁起」で成り立っている。したがって究極のありようとうは「空」であるという考えです(あるいは「究極」をもとめてもそれは無駄である)
また、鴨長明の「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。」という直感は非常に正しい認識であったと思います。(S)

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